
可愛そうという気持ちは消えるのか?
障害のある子がいる家族は、親であれ兄弟であれ、本人について可愛そうな子という認識がある人も多いのではないでしょうか。
きちんと成長できないから、しゃべれないから、あるけないから、といった葛藤が障害がある=可愛そうな子とレッテルを貼るわけです。
しかし、障害がある子がみんな可愛そうではありませんし、本人は自分自身のことを可愛そうとは思っていません。本人が思っていないのだから他人が一方的に決めつけるのは本人のためにもなりません。
可愛そうだとレッテル貼りをするのは、そう思う家族の方の考え方に問題があります。
子供へのレッテル張りはなぜ起きるのか?
では、なぜ私達はいつも他人にレッテルを貼るのでしょうか?レッテル貼りとは、相手に否定的なラベルを貼り付けて特定のイメージを固定させることです。
その人の価値観が千差万別のレッテルを作り出しています。なので、可哀想な子と言っても他人はどう思っているか分からないし、間違いなく本人は不幸だとは思っていないでしょう。
ウィキペディアで調べてみると、以下のようにまとめられています。
レッテル貼りとは、『人や物事の多様性を無視して、単純な類型(パターン)の枠組みで捉えて、その類型の名前で呼ぶこと』
障害者であれ、健常者であれ、人はそれぞれ違う考え方をもっているのに、その多様性を無視して、たった1つのパターンに当てはめてしまうのですね。
このように、価値観のパターンが少ないと、障害者は不幸だと完全に信じてしまい、可愛そうだという感情で一杯になります。価値観のパターンが少ないのがレッテル貼りをしてしまう原因です。
可愛そうな我が子と正当化している
レッテル貼りもそうですが、他にも子供を可愛そうと思う原因があります。実は、可愛そうな我が子のままでいてほしいと思っているから、可愛そうな理由を見つけてくるのです。
もし、子供のことを幸せな子だと思ったら、子供の未来も幸せに思えるからです。もちろん家族の一員ですから、家族の将来も問題ないという気持ちになるでしょう。
しかし、ダウン症の子は作業所通いの人生で悲惨だ、地域のコミュニティーから外れてしまい人間関係がない、家族兄弟にも影響があると不安な未来ばかりしか想像できなければ、現状で子供のことを幸せだと思うことはできません。つまり、未来と今は感覚的に繋がっているのです。
たとえば、占いでは嬉しい未来を提示してくれることが多いです。彼氏ができるとか、仕事が見つかる、人間関係が解決するといったようにアドバイスしてくれます。占いは統計学も利用しているので、当たる時もあれば外れるときもありますが、まず未来が素晴らしいと信じれるから、良いことを期待して人生を進めることができます。
可愛そうな子!と理由探しばかししている親は、将来が不幸だから、今も不幸でないとおかしいと感じます。無意識で可愛そうな子という設定をしてしまうのです。
将来どうなるかは誰にも分からないのに、悪いことが起きると決めつけているから、可愛そうな子と思ってしまっても平気なのです。本来は、幸せも不幸もありません。それが分かるのは先のことです。今の嬉しい、楽しい、ドキドキしたといった積み重ねが幸福を作ります。今日一日、来週だけが良ければいいというものではないのです。
原因を外側に探している
我が子が可愛そうなと思うのは、その理由を自分の内側ではなく、外側にあると思って探しているからです。
親のせいで、健常者に生んであげられなかったと思い続けている人もいるでしょう。自分には、子供を生んだり育てたりする能力がないと思いこんでいるかもしません。
しかし、人間はだれしも完璧ではありません。子供に問題があってもどう生きるかは自分で決めなれければなりません。子供をほしくないという人はそういう選択をしているのです。健常者でも、多くの問題を抱えることもあります。うつ病や自殺、パラサイトされたり、親の生活に影響する問題はいくらでもあります。
なのに子供が可愛そうと思って止められないのは、子供自らは勝手に成長してくれたり、社会が突然障害者にものすごく寛大になり補助金をたくさんだして生活保護なみのお金をくれないかと妄想している。つまり、自分の外に原因があり、その理由を探しているからです。
残念ながら、外にいくら理由を探しても子供の解決にはなりません。原因は自分のなかにあるからです。
外に、外に目を向ける理由は、自分が変わるのが難しいと思っているからです。自分が変わるのは大変なので、自分に負担をかけないように、現状を維持するために、周りに理由を求めます。
自分が変わるとは、これまで持っていた価値観を変えたり、日々の行動を変えたり、付き合う人を変えたりすることです。もっと言えば、想像している1年後、5年後、10年後の未来を変えてしまうことです。
可愛そうじゃない理由を考える
子供が可愛そうと思うのは、あなたが勝手に思っていることです。なので、いくら外側にその理由を求めても現実は変わりません。
子供を変えようとしたり、周りの環境を変えてほしいと願ったりするのではなく、自分が変わることです。そのためには、自分に原因があると認める。
自分の考え方を疑ったり、心の扱い方を知ったり、世間の本質を知ることです。そして、子供が可愛そうと思わず、可愛そうじゃない理由を見つけることです。
その具体的な方法は、可愛そうと思った時に、そうでない理由を紙に書き出してみましょう。
- 子供が生活できるくらい成長できるかわからないから可愛そう → 成長は遅くても周りからサポートしてもらえる環境を作れたら幸せ
- 子供が本当は、現状者のお友達と楽しく遊べたはずなのに出来なくて可愛そう →本人が楽しんでいるのならそれが一番幸せ
そうは考えられないと思っても、必ずありますので考えてみてください。それが事実と違ってもいいのです。少しでもそのように考えるクセを付けることが大切です。また、人に助けてもらうという思考は悪いことではありません。
このように、可愛そうと思う感情がでてきたら、何度も繰り返しそうではない理由を考えてみてください。可愛そうなことも人が見ればそうでないことも多いです。この世に起きていることは、いいも悪いもありません。その出来事をどう解釈するかで人生がきまるわけです。
問題はいつも、自分のなかにあると気づいて、変化を起こしていきましょう。そして、自分ひとりでは解決できないことがあれば、積極的に周りの人や、問題を解決してそうな人を探して相談に乗ってもらえばいいです。
せっかくの子育てで、可愛そうと思うことは精神的にもよくないし、何よりもあなたとあなたの家族の未来にとって最悪な現実を引き寄せるので改善していきましょうね。