ダウン症の子がいても「現実を受け入れて良い人生にしたい」と思うことが普通になってきている時代ですが、
それでも子育てに不公平感がある親は、子供とは一体何であるかを間違えると日々の生活レベルで上手くいかなくなります。
今回は、ダウン症の定義は自分で決めるという話をします。
ダウン症の子が、どういった存在かを見直すキッカケにしてくださいね。
ダウン症は「空」という存在
ダウン症の存在とは、もともと「空」という概念です。ダウン症だけでなくすべての人やものに役割はなく、初めは純粋無垢な存在なのです。それを後から理由をつけてメデイアや世論が意味づけしたのです。
たとえば、仏教の源流である大乗仏教というものがあります。その核心の教義があるのですが、それが「空」や「中観」という考え方です。
これは、もともと自分も含めてすべてのものは空っぽの状態であるということです。そしてその空っぽのものに仮の役割をもたせることを「中観」と言います。
よく言われるのが、映画です。
映画とは興味のないひとにとっては空っぽのようなものです。しかし、あるカップルにとってはデートの主役としての役割を持つし、映画マニアならコレクションとしての役割、暇つぶしの鑑賞なら時間を消費する役割をもっています。
このように、もとは意味がないものも、役割を与えることで機能しはじめます。目に見えているものは一つの形をしていても、その役割は無限に広がっているのですね。
ということはダウン症の子も元は意味を持たない存在であったし、誰でも同じことです。
ダウン症に役割を与える
たとえば、ダウン症の子がいて子育ての不公平感があるとします。そう思う親は、子供に不幸な役割を与えているのです。
そうすれば当たり前ですが、不幸な現実を引き寄せている原因です。
それは、自分が子供を不幸なものと決めたから、子供はその役割を果たそうと家族を不幸にするのです。先程の映画の例と同じで、デートの役割を与えたから映画からその価値をもらうように行動するわけです。
不幸だとか不憫、不安だという役割に決めたから、積極的にその価値を得ようとするのです。つまり、それがネガティブな要素でも決めたから、自動的に得てしまうのです。
これでは凄く辛いですよね。
なので、どうすればよいかと言うと、これからはダウン症の子に良い役割を与えればよいのです。
- 子供は私を救ってくれる存在
- 子供は私を成長させてくれる存在
- 子供は家族をまとめる存在
- 子供はエネルギーを補充してくれる存在
- 子供はお金を運んで来てくれる存在
- 子供は食生活を見直してくれる存在
- 子供は無意味なこの世界の常識から抜け出させてくれる存在
- 子供は趣味を見つけてくれる存在
- 子供は長生きを実現させてくれる存在
- 子供は大きな家に建て替えてくれる存在
このような役割を与えて、そう決めることで日常生活レベルで考え方が変わります。子供を上手く活用してその価値を受け取るための行動も変わるのです。
なので、ダウン症の子がどういう存在か決めてください。一番自分にしっくりくるものが探せばあるはずです。
まとめ
周りの家族と比べて子育ての不公平感があるのなら、それは子供にネガティブな役割を与えているからです。
それはあなたの精神世界にモロに影響します。
もともと人は産まれて来た時には意味を持たないのです。その後に、親がどのような役割を決めるかが問題です。それは一般的には兄とか妹とか順位付けだったりします。
そしてどうなってほしいか考えると思います。勉強ができる子、スポーツが出来る子と決めればそのようになるように親も行動するでしょう。
それがはじめから、不公平感がある子と決めれば、ネガティブな結果になること必然です。
そうではなく、あなたにとって理想的な役割を考えてあげましょう。それが子供にとって一番幸せな役割だし、そのように人生が進めば子供からも感謝されるはずです。