考え方って変わらない、変えることができない。そう思っていませんか?
ダウン症の子がいて、人生なんだか生きづらくなったなと感じていても、
性格を変えようと思いませんか?
あなたは生まれつきおとなしい性格なんだからー。
と言われてもそうなんだ、ふーんと思うくらいでしょう。まあ、そんな一面もあるしね。
でも性格や考え方って、生まれつきに決まっているものじゃなくて、
人生の波のなかで出来ていく工作の作品みたいなものです。
それが性格なんですね。
さらに多くの親は、
その複雑怪奇なものが、本物の自分自身だと思い込み
その作品を壊さないようにしています。
それが個性というなら、ダウン症の子も生まれながらにして
特徴をもった個性だと、認めてあげれないでしょうか?
でも、そこってなかなかうけいれられないんですよね。
~しなければ、そうでなければ、といった世界観から逸脱すれば、
辛い試練がまっています。
なので、本当は子供の個性なのに、親の世界観やこれまで教えられてきたことや、
常識でものを図ってしまう。
枠があって、その外に子供がいるんですね。
性格は、
自分の信念を作り、解釈して、善悪を判断し、体で感じて、手足が動く。
そんな人生のパターンを繰り返し、繰り返す。
その一番最初の信念が最も価値があり、大事なものなんです。
その信念は時に、あなたがその目で見ている世界を歪めたりします。
飛躍したり、マイナスなことばかり考えたり、
極端な方向にいったり、なぜかレッテルをはったりします。
自分を過小評価して、相手の心を読みすぎるのは、辛い試練だと思いませんか。
私も小さい頃から相手に気ばかり使ってきました。
これをしたらどう思うのだろう、、と。自分よりも相手の人生が優先だったのですね。
それは苦しかったし、自分への自信を一枚一枚削いでいくような感じ。
でも、しょうがない。
そうじゃないとこの世界で生き残れない。
生き残っているから、心に立派な作品ができてるのだし、
自分自身が必要としているのだから。
なにも、バラバラにして手放す必要はないのですね。
人生だれでもある時期がくれば、
その性格が窮屈になって、もう無理ってなるときがきます。
大なり小なりですが、ダウン症の子が生まれてきてくれたのであれば、
大の時期がきたのでしょう。
そこからが自己探求の時間
私とはいったい何だったのか、何がしたかったのか、何が楽しいと感じるのか。
一つ一つ見ると、最近の自分は昔のような自分ではなく、
なんだかホコリをかぶっているよう。
すこし新しい風を感じると、
ハッと同時に自分の「心の奥の性格」が浮上してきます。
こんな私でいいの?
そこにはひょっとしたら生まれたときからの性格を
また手に入れられるかもしれません。
転生する。
ダウン症のことで人生負の方向に進んでいると感じるのなら、
転生し、別の世界にいく時間なのかもしれません。
それが覚悟を決めて「変わる」ということです。
性格を変えれることを知って、決めてください。
「こんなに変わっていける」
「本当に変われる」
「生きがいができた」
コーチングしていてそんな声が聞こえてきます。
そうか、やっぱり変わりたいんだよねー。
変化を、幸せのサイクルを、仕組みをつくる。
そんなコーチング活動を。
つまり、「性格」を超えて、別世界の「性質」で生きる。を目指したら面白いと思いますよ。